失礼な話

これから失礼な話をする。生まれて初めてバイトをしたのは19の時だった。大学もフェードアウトしかけた頃で金も無いけどコンピュータの専門学校行くのも馬鹿らしいので、実践で学び取るんだって意気込みでバイトに入った。そして、そこでカルチャーショックを受ける。コンピューターの会社なのに社員の半数はコンピュータが嫌いなのだ*1。「最初の1週間は教育期間です。」と言われてコンピュータの概念から始まる初心者向けの解説書を渡された。2日目でめげた。これは拷問だ。担当になった上司に「全部終わりました。何かやらせて下さい。」って言った。で、COBOLを始めた。そう、その会社は汎用機を使うCOBOL屋だったのだ。設計は部長がして、コーディングは部下が。つっても過去のコーディングをテンプレートにして変数だけ変更して、パンチ依頼書に書き写すのだ。そう、自分でマシンに打ち込むのではなく。パンチセンターに依頼してプログラムを打ち込んでもらうのだ。会社には汎用機の端末は無く、パソコンも化石のようなのが1台と、まぁ、新しいのが1台*2の2台だけだった。その頃だと一人一台なんて時代じゃないけど、これは少しがっかりした。まぁ、そんな環境だからか社員の人もキーボードは2本指で打ってたり、何か想像してる物と118度くらい違っていた。何より誤算だったのは、自分が、コンピュータの知識は会社の中で上の方であった事。当初の予定は脆くも崩れ去った。『まぁ、金貰えるからいいか』。半年ほどして、社長に呼び出された。「外回りするから、背広着てきて」って。何かしらないけど、背広きて外まわりした。過去のお客さんの所らしく、昔その会社で作ったパソコン向けアプリケーションのバージョンアップの話だった。といっても、Basicで作った帳票を出すだけの物だけど。んで、次は一から作る仕事。鶏の生産管理。あの頃エクセルがあれば、数時間で出来ちゃうようなマトリクスな足し算をするだけのソフトだった。Basicでやらせたら2分もかかったんでBascom*3を使ってみたら15秒だった。そして、次の仕事の前にはいつのまにか名刺が出来ていた。『おいおい』。さらに中型機の売り掛け買い掛けデータをパソコンに持ってきて、マッチングするプログラムを書いた*4。さらに気がつくと新人の教育係になっていた。『このままじゃ、やばい』。とりあえず、学業が忙しいとか言ってやめた。俺は学びたいんだ。そんな会社はバブル崩壊には耐えられないで、今はもう無いだろうなあと思ってググってみたら何とまだ存在していた。ホームページがあったのだ。社長も、その頃上司だった人もまだ居るみたいだ。社員も80人を超す大所帯になっていた。社長の夢だった上場は果たせて居なかったみたいだが、まだ夢は捨ててないんだろうな。頑張れ社長。俺もあれからずっとソフト業界で暮らしているよ。

*1:まぁ、社員と言っても10人くらいしかいなかったけど。

*2:のちに、俺専用マシン化した。

*3:Basicコンパイラっつー物が昔はあったのだ

*4:2003-06-21参照